創作田園地帯

バイオリンの仕組みと魅力

序論

そもそも楽器はそれ自体が目的ではありません。 楽器はその名の通り音楽を演奏する手段なのです。 つまり技術的に完成することが楽器を極めるということにはならず、 技術は意図した演奏を実現するための前提に過ぎないのです。 ですから優れた楽器奏者は単なる技術者に留まらず 同時に優れた音楽家でなければなりません。 楽曲の真の魅力を引き出すためには 楽曲に対する広範な理解と超人的な音楽的平衡感覚が求められるのです。

ですから楽器の優劣というのは、 単に楽器の扱い易さであるとか、 楽器のポテンシャルであるとか、 こういうスペック的な物で決まる物ではありません。 それに絶対的に優れた楽器というのも存在しません。 長所を持った楽器でも、ある点では短所を合わせ持っています。 しかも楽器というのは短所さえも別の見方をすれば 長所と見なしうることもあるのですから話はややこしくなります。

以下でバイオリンについて述べて行くのですが、 まずは技術的、性能的な話から入ることにしましょう。 しかし楽器というのが あくまでも良い音楽のための手段であることは忘れないで欲しいと思います。

胴と弦

バイオリン模式図

私はバイオリンを扱ったことがありませんので、 正しい理解でなくて机上の空論となるかも知れません。 それでも敢えてバイオリンの仕組みと技法について語ってみたいと思うのは、 やはり技術的な理解なしには楽器の理解には至らないと考えるからです。

右に簡単な模式図を用意しました (絵がヘタクソなのは愛嬌です。このぐらいで勘弁してやって下さい)。 バイオリンは弦楽器に属しますから当然ながら弦があります。 音楽的な音色と音域を得るために充分な長さの弦が必要ですので、 楽器の形状は長い弦をどう処理するかで自ずと限られてきます。 ですから弦楽器は大概右図のような形に落ちつくのです。 右図を直角に回転させればギターに類似した形になりますね。 つまり長い弦を配置して演奏に支障のないような形にするには、 必然的にこのような形状になるのです。 もちろんこれは手に持って演奏するという前提があるからでして、 据え置き型の弦楽器であれば他にも様々な形が存在します。 たとえばハープや日本の琴、 あるいはピアノなどは弦全体を覆うような形になっています。

さてバイオリンを見るとまず目に付くのが木製の胴でしょう。 その独特の女性的な流線型がたいへん美しく感ぜられます。 胴のくびれは弓(後述)で演奏するときに邪魔にならないよう、 また音響的に良い響きが得られるように経験的に定まって来ました。胴の上方には 弦を支えるさおが あります。棹はネックとも呼ばれますが、 調弦に使う糸巻きネジの更に上方に、 これまたバイオリンに特徴的な渦巻き型の先端があります。 こちらの渦巻きの方は特に音響・演奏上の必然がある訳ではありません。 したがって別にこの形ではなくても良いのですが、 胴の流線型に調和する美しい形状のために長年用いられています。 以上の形は既に三百年以上前に完成しており、 以後特に顕著な変化は見られません。 実験的に変則的な形状も試みられたものの、 やはりこれを越えてスタンダードとなる形は考案されませんでした。

胴は表板と側板、裏板に分けられます。 胴は弦を支えるだけでなく、 その空間が共鳴板となって音響的な充足を謀ります。 そのために内部は全くの空ではなく、 魂柱や力木と呼ばれるものが配置されています。 特に魂柱はその名前の通りバイオリンの音色を決定する 重要な部品として知られています。 胴は完全に閉じていては役目を果たすことができません。 ギターでは丸い穴が開いていますが、 バイオリンの場合は小文字のFのような穴が二つ開いています。 これらはF字孔と呼ばれています。 この形状も様々な物が考案されてきましたが、 やはりF字型が最も優れているようです。

バイオリンには四本の弦が段差を持って配置されています。 音高の高い方から第一弦、第二弦、第三弦、第四弦と呼ばれています。 これらはその開放弦の高さからそれぞれE線、A線、D線、G線とも呼ばれています。 「G線上のアリア」という有名な曲がありますが、 これはバッハ管弦楽組曲第三番のアリアを、 ヴィルヘルミがバイオリンの第四弦(G線) だけで演奏できるように編曲したものです。 全部で四弦あるということは 同じ音高を得るために最高で四通りのポジションがあるということになります。 ですので同じ音の高さであっても、 例えば太いG線と細いE線では表情が異なります。 「G線上のアリア」はもちろんG線で弾くことになりますが、 大抵の場合は弦の選択は奏者の判断にまかされます。 奏法上の都合や前後の具合もありますが、 意図的に普通とは違う弦を使うことが新鮮な効果を生み出すことがあります。

バイオリンにはギターのようなフレットがありません(フレットレスです)。 つまり慣れない者が正確な音程を得ることに難があり、 初学者の弾くバイオリンは「音痴」になってしまいます。 ですが反対にフレットがないことで様々な利点も生まれます。 まず音の高さに対する自由度です。 弦の長さの範囲内であれば無限に細かい音程を刻むことができます。 ピアノのように半音単位の制限がないということでして、 また平均律だとか純正調だとかいう調法上の制限もないのです。 指(左手)の操作で二つの音高を滑らかにつなぐことも可能ですし、 微妙に音を揺らしたりすることも可能なのです (言い換えれば開放弦ではビブラートがかけられません)。

弓の模式図

バイオリンは本体だけで用いることはまずありません。 弦を手で直接はじくピチカート奏法を別にして、 通常は右図のような弓でもって弦を擦り、 弦を振動させて音を出します。 運弓には大きく分けて上げ弓と下げ弓があり、 これも通常は奏者の判断に任されています (ただし合奏の場合は指揮者やコンサート・マスターなど、 上から指定されることが多いと思います)。 上げ弓はクレッションド、下げ弓はデクレッションドに適しています。 なぜなら手許に近い側(元弓)の方が押す力を強くしやすいからです。 もちろん運弓は弾力的に考えなければならず、 クレッションドの局面で下げ弓になってしまうこともありますし、 そもそも音量的な変化が必要ない場面もあります。 奏者は適当に弦を押さえる弓の圧力を調節して、 適度な強さを保つ必要があります。

弓は有限ですから全弓を用いても余り長い音符は演奏できません。 上げ弓と下げ弓の交換をいくら速く行ったとしても、 聴感上の切れ目が生じてしまいます。 ただし弦楽合奏の場合は事情が異なり、 上げ弓と下げ弓の入れ替えを少しずつずらすことによって、 耳にはひと続きの音であるように聞かさせることが出来ます。 つまりどれだけ長い音符であっても演奏が可能であるということでして、 これはソロ・バイオリンでは不可能なことです。

その他の運弓法としては、 弓を通常より駒(ブリッジ)に近い所で奏する スル・ポンティチェロ(sul ponticello)や、 反対に駒から離した位置、指板の上辺りで演奏する スル・タスト(sul tasto)などがあります。 前者は芯のない柔らかい音色になり、 後者は鋭い悲鳴のような音色になります。 また弓の毛の部分ではなくて木製の背の部分で演奏する コル・レーニョ(col legno)というのもありますが、 弓が痛んでしまうので奏者は余り好まないそうです。

バイオリンの弦は四本ありますが、内側の二本は外側よりも上に位置してありまして、 そのおかげで弓を当てる角度で弦を選択できる訳です。 一つの音を鳴らすのが基本ですが、 弓の角度によって二本同時に鳴らすことも可能です。 つまり二つの音を同時に奏することが可能なのです。 同時に二つの音高を鳴らす以外に、 開放弦と組み合わせて同音を二つの弦で演奏することもあります。 弓の毛の張りを緩めて三弦同時に奏することも可能ですが、 余り用いられる方法ではありません。

弓の角度を素早く変えることで四弦を活用し、 一つの音符に対して三つまでの装飾音符を付属させることができます。 バイオリンのこの奏法は弦をかきむしるような独特の音色がします。 また左手を固定したまま弓の角度を上下することで、 四音までならば高速なアルペジオ奏法が可能です。 上の重音や装飾音符などは特にソロで重要になってきますが、 合奏においてもその効果を狙って使用されることが多々あります。

以上、バイオリンの構造と技巧を簡単に見てきました。 他にも奇をてらった技などがありますが、 基本的な奏法は幾世紀前から大差ありません。

話が横道にそれますが、バイオリンは今でも手作りが基本でして、 工業的に生産されるピアノなどとは大きく異なり、 個体差が激しく、値段の方も物によって天と地の差があります。 バイオリンは昔から家内工業的に専門の一族が数々の名器を作って来ました。 有名な所ではイタリアのクレモナ地方で活躍したアマーティ家があります。 アンドレア・アマーティ(1500?–1580?)は今日のバイオリンの形状を確立し、 その孫のニコラ・アマーティ(1596–1684)は同家最大の大家として知られています。 その弟子のアンドレア・グアルネリ(1625?–1698)も クレモナの有名なバイオリン製作者で、 孫のジュゼッペ・アントニオ(1698–1744)は特に名を馳せ、 彼の製作したバイオリンはストラディヴァリと並ぶ名器とされています。 そのアントニオ・ストラディヴァリ(1644?–1737)も またニコラ・アマーティの弟子であり、 彼の作った1116個のバイオリンの中には、 バイオリンの最高傑作と謳われる作品が今日も使用されています。 彼らの作ったバイオリンは現在でも最高とされていて、 あの手この手の研究が行われているのですが、 その音を再現するバイオリン作成には至っていないというのが現状です。

バイオリン属の楽器で名器とされているものは、 どれも皆たいへん高価な物になってしまいます。 そのため前述のストラディヴァリらのバイオリンともなると、 個人で所有することは難しく、 国有であったり企業の所有であったりします。 これらの奏者は政府や企業からの譲渡・貸与されて演奏活動を行っているのです。 冗談で「命より大切な楽器」と言うことがありますが、 単なる冗談ではなく、 貨幣換算すると命よりも高価であったりすることも普通なのです (人の命に値段はつけられないと言われればそれまでですが、 事故死の慰謝料や生涯賃金などを命の値段と考えた場合の話です)。 貸している側の立場からすれば、 奏者の乗る飛行機が墜落したら、 奏者よりもバイオリンの方が気になってしまう、 というのもまた真理かも知れませんね。

魅力

楽器の優劣を機能面から見ただけで判断するのは危険でしょう。 バイオリンという楽器はフレットがなくて音階的な制限がない、 だから優れている、このような判断は早計に過ぎるというべきでしょう。 例えばピアノは音階的にたいへん固定的ですが、 だからと言ってバイオリンに比べて劣った楽器だとは誰も考えないでしょう。 音色に問題に関しても単なる優劣では片づけられないでしょう。 楽器というのはもっと総体的な物であり、 更に言えば性能面よりも別の次元にこそ本質が潜んでいる物であると思います。

私の考える楽器の魅力とは、 どれだけ楽器と一体化できるか、どれだけ音楽に感情移入しやすい楽器であるか、 によると考えます。 敢えて誤解をおそれずに言うならば、 魅力的な楽器とは弾いていて気持ちの良い楽器ということになるでしょう。

一体化という言葉が出てきましたが、 これは楽器がどれほど体の一部となるか、 要するに楽器が楽器であると意識することなく、 楽曲の方に集中できるという状態を指している訳です。 音楽には歌といって人声を用いる物がありますが、 楽器としての人声は文字どおり体の一部ですから、 この見地からは魅力的であるということになります。 発声には言語的な言葉を付加できるというアドバンテージがありますが、 それを差し引いたとしても、 歌手は他の楽器奏者以上に 音楽に対する一体化が進んでいると見て間違いないでしょう。

一体化が進めば感情移入も容易になります。 聴衆はしばしば忘れてしまうことですが、奏者もまた聴者なのです。 聴くということがあって初めて演奏家として充分な任に付くことが許されるのです。 なぜなら彼らは楽器を演奏しているのではなく楽曲を演奏しているのですから。 試しにバイオリニストに耳栓をしてみましょう。 とたんにまずい演奏になるでしょう。 ベートーベンは若年時代に名ピアニストとして名をとどろかせましたが、 聴覚に衰えがあった晩年は人前で演奏することが殆ど無かったと言われています。

ベートーベンの話が出ましたが、 耳の悪い晩年、彼はピアノに頭を当てて作曲活動を行ったそうです。 人間が聴覚する音というのは耳から入ってくる音以外に、 骨の振動が内耳に伝わって聞こえる物があります。 双方の聞こえ方には若干の違いがありまして、 自分の話す声を録音してみると自分の声でないように思うのは、 普段自分の声は内耳で聞く部分が多いからなのです。 体で音を聞いているという点では人声がまず思い付くでしょう。 他の大概の楽器は体外(つまり普通の耳)で聞くことになりますが、 バイオリンの場合は少し事情が異なります。 バイオリンはあごで挟んで用います。 それも当てているだけではなくてバイオリンを支えているのですから相当な強さです。 そう考えるとバイオリニストが聞いている音というのは、 我々聴衆の聞くそれとは異なっていると考えるべきでしょう。

ピアノという楽器は確かに魅力的ですが、 奏者との距離を離されていると感じてなりません。 ピアノの魅力は同時に奏せられる音の数によるものであって、 一体化という意味ではぜんぜん他の楽器に及んでいません。 鍵盤というのは単なるシステマティックなスイッチに過ぎず、 ある意味ではパソコンのキーボードと役目は同じなのです。 ピアノ奏者はピアノとの距離を縮めようと必至に努力します。 例えば打鍵した後、余韻を残す意味で押さえている鍵を横に揺らしたりするのです。 バイオリンでいうビブラートをかけている訳ですね。 あるいは押している鍵盤を更に押し込んでみたり、 もっと言ってしまえば鍵盤から手を離した後に空中で手を振りかざしたりするのです。 このような数々の涙ぐましい努力に、ピアノは決して応えてくれることがありません。 押さえている鍵を横に振った所で音響的には何の変化も生じないのでして、 これはピアノの構造的な必然なのです。 空中で手で魔法を掛けても、物理的な変化などあり得ないのです。

では上のような数々の涙ぐましい努力が本当に無駄な行為だと尋ねられると、 答えは否となるでしょう。 奏者は無駄な努力を重ねながら楽器との一体化を謀っているのです、 楽曲への感情移入を果たしているのです、 音楽へ意図を込めているのです。 楽器といのは音楽への手段なのですから、 楽曲へ意思を吹き込むというのは演奏の上で重要な要素になります。 上述のようにピアノはなかなかリアクションの得られない楽器でして、 しばしピアノ奏者は音楽的な孤独を味わうことになるやも知れません。

しかしバイオリンは違います。 左手の揺れがそのまま音の揺れとなって体現するのです。 更にその音は体を振動させ奏者に直に伝わってくるのです。 こういったことは良い演奏のために大切であると思います。 演奏していて気持ちいい楽器であれば、 その演奏も良いものになるに違いありません。 奏者の意思がダイレクトに楽器に伝われば、 その演奏も良いものになるに違いありません。 奏者と楽器が一体となって奏でるバイオリンの音色は、 きっと聴き手にも人間的な満足となって伝わっていくでしょう。 これがバイオリンの魅力であり、バイオリンの奥深さであるのです。

結尾

バイオリンは美しい形をしています。 バイオリンは美しい音色を奏でます。 けれど何にも増してバイオリンが光輝く瞬間は、 バイオリニストと一体となって音楽の調べを語る時です。 バイオリンを聴くことは奏者たるバイオリニストを聴くことであり、 そして楽曲を鑑賞することなのです。 バイオリニストという意思を持った楽器から聴こえる音色は、 音楽の魂に最も近い所で響いています。 ここにこの楽器の魅力があり、 そして可能性があるのです。


制作/創作田園地帯  2002/07/21初出
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