和声学に代表されるような音楽理論が持つ意味を、 その盛衰や実際の楽曲との関わりを考慮しながら考えたい。
音楽に限らず理論というのは、三つの段階を経て発展していくと考えられる。
例えば和声学を例に取ってみよう。
西洋音楽には和声学に先だって対位法の発展があった。 しかし時間的旋律に重きをおく対位法に対し、 同時的和音を中心に構成された楽曲が生まれだした。 こういった新たな楽曲を分析・研究、そして作曲に生かすため、 新たな理論、すなわち和声学が誕生する。
当初の和声学は、 理論とも呼べないような個々のルールや約束事を集めたものであった。 やがて楽曲の発展に伴いながら、次第に理論がまとまっていき、 ついに完全な体系のもとに理論が完成する。
ただし理論が完成したとき、すでに時代は次の世代に移っていることが多い。 和声学の完成したときも同様で、 次々に案出される曲を分析するには多くの例外を必要とした。 例外の増加は完全な体系の構造を破壊し、 最終的に理論を崩壊へと追いやるのである。
注意すべき点は理論が実際の楽曲よりも遅れているという点だ。 理論をまとめ上げる際に参考にできるのは、それまでに作曲された過去の曲でしか無い。 過去の曲を分析するのであるから、どうしても若干の古さが含まれてしまう。 まして理論がすっきり体系化されるには幾年もの月日が要されるだろう。 故に中期の理論完成期、もう既に作曲の作業では例外が多く用いられ、 後期に至っては単なる過去の遺産という意味しか持たなくなっているのである。
古い理論の崩壊は新たな理論の切望を意味しよう。
拙稿『音楽は世界共通語か』で述べたように、 音楽は言語性を有している。 音楽言語の規則や単語を分析し体系化した文法書、 これこそ音楽理論に他ならない。 音楽理論とは音楽の文法である。
しかしながら音楽にも様々な言語が存在している。 英語には英文法、 日本語には日本語の文法、といったように、 全ての言語に共通した文法というのは存在しない。 また同じ日本語であっても、切り口や細分化の程度により文法の説明もかわってくる。 音楽もしかりで、同時的和音を扱う和声学、時間的旋律を扱う対位法など、 言語に応じて文法が存在する、 と同時に和声学であっても詳細が異なることもあるし、 時代によっても変わってくる。
英文法を学ぶということは英語を学ぶための手段である。 音楽理論を学ぶということは新たな音楽言語を学ぶための手段である。 英文法を学ぶことは英語の学習に役立つだけでなく、 その応用によって日本語の学習にも役立つ。 より多くの音楽理論を学ぶことは、 それだけ音楽に対して深い認識と分析ができるということに相違ない。
理論を実践に生かすには?
ちょっと考えて欲しい。 例えば英語を学んでいるとしよう。 英文法をひととおり習っただけで、英語を使えるのだろうか。 英語を理解したことになるのだろうか。答えはもちろん否である。 文法以外にも、単語や熟語、挨拶や慣用、さらに社会的な風土、 実際の会話や文学作品などを学んだ上で、やっと英語を使えるようになるのである。
音楽でも同じ事がだろう。理論を学んだ上で、楽聖らの作品にふれ、 こういった場面でこういう文法を応用するといったことを学ばなければならない。 音楽においてはこの点が存外見過ごされがちである。
文法から実際の文章を組み立てる際の注意点を幾つかあげると、
以上は音楽においても同じである。 正しい文法を身につけることが大事であっても、 正しい文法を覚えたからといって素晴らしい文章が書けるとは限らない。 この点に注意して理論を実践に結びつける必要がある。 忘れてはならないのは、音楽にはたくさんの言語と文法が存在し、 それはますます増えていくということである。
あなたは文法学者ですか? 文筆家ではないのですか?
制作/創作田園地帯
2000/10/29初出
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