バッハやモーツァルトが活躍した時代、 言い換えれば全ての音楽が長音階と短音階へと集約されていた時代、 それは長音階が西洋音楽界を席巻した時代でもあった。 少なくとも理論的な説明は長調を主体として進められ、 短調はその従属として付加的に、 時に異端児として、時に劣等生として、 不当な地位を与えられて虐げられてきた。 いや、短調に罪があった訳ではない。 楽聖らによって短調の名曲も次々と生み出されていた。 けれどやはり短調は「マイナー」であり、 長調の「変質したもの」として扱われていたのである。
その原因の一つとして音階そのものに内在する不完備がある。 楽典を少しでもかじったことのある人は気付いただろう、 長調は一種しか存在しないのに対して短調は様々なバリエーションが存在する。 元となる自然短音階に対して、旋律的短音階やら和声的短音階やらが登場し、 これだけで読者は短調が不便で落ちつかないなものと感じてしまうだろう。 いずれも素の短音階が導音を持たなかったことに起因しており、 それを修正するために苦肉の策が講じられた結果である。 この修正とは即ち短調を長調に近づけるという行為に他ならない。 旋律的短音階に至っては長調との差異がたったの一音にまで接近し。 これこそ短調が元から持っていた劣等感なのだ。
そして和声学の発展に伴って短調はいよいよ立場を悪くする。 なぜなら和声学は倍音という自然現象を基盤としており、 倍音列は長調の和音と非常に合致していたのである。 試しに手許の和声書を広げて頂きたい。 必ず倍音の説明が載っていて、 そしてそこから協和だとかの解説が行われるだろう。 そうなのだ、理論家たちは短調の説明に苦労し、 短調の本質をなす短三和音でさえ明確な解説を付けられなかった。 苦し紛れに、 短三和音は倍音列に存在せず、 また長調の長三和音をちょうど反転した形であって、 故に短調は独特の陰影を持っている、などと言った。
嗚呼、可哀想な短調。長調の出来損ないまで下げられてしまって。 後の時代になっても依然として短調は理論からは蚊帳の外に置かれた。 もちろん蚊帳を大きくして短調をも取り込もうとする努力は続けられた。 例えばリーマンはその和声理論で下倍音という仮想の音列を導入して 短調を見事に説明した(拙稿『リーマンの短調』参照)。 けれどこの理論は下倍音が実際には存在しないということ 全くの仮想であることに本質的な欠陥がある。 確かにリーマンの理論は筋の通った美しい世界を築き上げる、 しかし一方で短調が自然には存在しない不自然な物であると 暗に主張してしまったのである。
しかしながら理論など糞くらえだと言わんばかりに、 短調の新曲は益々勢いを増して製造され続ける。 しかも多くの人が認めているように、 完全五度の和音は短三和音を連想させるのである(長三和音ではなく!)。
試しにピアノで弾いてみて頂こう。 ペダルを踏んで C と G を同時に押さえる。 次にペダルを踏んだまま E Flat を鳴らしてみよう。 たいへん自然で落ちついた雰囲気を持っているのに気付くだろう。 これが短三和音である。 では長三和音はどうだろう。 先程と同様に C と G を押さえておいて E Natural を弾くのである。 するとこの E が非常に突飛な感じがするだろう。 何かこう、期待を裏切られたかのような不安定さを思わせるのである。
この際だ、些細なことは横に置いておこう。 いつの時代も人々は短調に魅了されてきたのである。 哀愁と力強さを合わせ持つ短調、陰と陽とを同時に見せる短調、 これが長調に劣っているなんて絶対にないのだ。 ベートーベンの第五交響曲、 かの有名な運命のモチーフが長調で演奏されていたら、 何と情けない曲になっていたことだろうか。
取り乱して感情的になってしまったが、 作曲家は違った意味でも短調に利点を見いだせるだろう。
短調の魅力は何といってもその懐の大きさだ。 和声的だとか旋律的だとか、 その変幻自在な変わり身の早さは作曲家を魅了して止まない。 更には未知へと進んで行ける力を秘めている。 例えばバッハの作品を見ると、 露骨な半音階の書法は短調作品に顕著に見られる。 長調はこういった異質分子はよほど上手く料理してやらないと様にならないからだ。
ともかく自由を地で行く短調は大きな可能性を持っており、 新天地のような豊かな大地に似た地盤であり、 そのおおらかな母は優しく音楽を育んできたのである。
短調に母のような温もりと、母のような力強さと、 そして母のような厳しさを感じるのは、ただの偶然であろうか。
制作/創作田園地帯
2001/09/05初出
無断転載を禁じます。リンクはご自由にどうぞ。
Copyright © 2001-2006 Yoshinori SUDA. All rights reserved.