創作田園地帯 | 楽式論

第十章 多楽章形式

楽曲は単一の楽式(複合形式のように再帰的に楽式を内包しているものも含む) から構成されるものが基本であるし、実際にそのような曲も多い。 けれど一方で複数の楽式から成る音楽、 いうなれば独立可能な曲を並べたような音楽というのも存在する。 即ち一連の曲をまとめてそれで一つの楽曲としたものである。 曲の中の曲というと用語が混乱するので、内側の曲、 つまり楽曲の中で比較的独立し完結した部分を楽章という。

要するに音楽には、単一の楽章から成るものと、 複数の楽章になるものと、に分けることができ、 後者は多楽章形式の曲と呼ばれているのである。

多楽章形式における楽章の構成は昔からかなり自由になされてきており、 全てを包括することなどできないし、 特に形式として名前のない構成も多く見受けられる。

こういった中で割合にまとまっていて、 楽式論として取り上げておかなければならないものに、ソナタがある。 ソナタといっても時代によって意味する所は随分と異なっている。 そもそもソナタという言葉は器楽曲という程度の意味であり、 語源としては声楽を表すカンタータの対義語にあたる。 従って単一楽章の音楽であっても 作曲家がソナタと呼んでいるならばそれもソナタに違いない。 けれど古来からソナタといえば比較的に大規模な器楽曲を指しているようである。 殊にバロックから古典派にかけては ソナタという言葉が一定の規則を持った音楽を指して使われたようで、 ここからはバロック以降、特に古典派のソナタについて述べたい。

古典派の時代にソナタという名前で呼ばれたのは、 まず多楽章形式の器楽曲という前提があるが、 大体において小さい楽器編成のもの、大きくても室内楽までの規模である。 殆どは独奏楽器によるもので、その代表はピアノ・ソナタであるし、 或いはピアノに独奏楽器を加えた編成、 例えばヴァイオリン・ソナタといえばピアノとヴァイオリンによるソナタであった。 このようなソナタは原則として三楽章構成になっている。

  1. アレグロ、主調、ソナタ形式。
  2. アダージョ又はアンダンテ、属調などの近親調、形式は自由。
  3. アレグロ、主調、ソナタ形式かロンド形式。

第一楽章から第三楽章にかけて急緩急という構成になっている。 ソナタで緩徐楽章といえば第二楽章というぐらい、 真ん中をアダージョにするのは基本である。 また調性上で統一を謀るために第一楽章と最終楽章は主調でなければならない。 速度と調性の両面において三部形式の類型が確認されると思う。

他方、各楽章に用いられる楽式だが、 第一楽章はソナタ形式であることが大体の取り決めである。 ソナタという名称からすれば少なくとも一つはソナタ形式が登場するはずで、 殆どの場合は第一楽章にソナタ形式が用いられる。 しかも第一楽章はアレグロであるのが通例であるから、 ソナタ形式のことを別名ソナタ・アレグロ形式と称することもしばしばある。 しかしながらソナタ形式は緩徐楽章にも用いられるのであるから、 ソナタ・アレグロ形式といってしまうと語弊があってよろしくない。 ともかくソナタの重心は第一楽章にあると考えられる。

最終楽章はロンド形式やソナタ形式が用いられることが多いけれども、 ここにいわゆるロンド・ソナタ形式が使用される楽曲も少なくない。

原則は上記の通りだが実際はもっと自由な場合が多く、 二楽章構成のものもあれば四楽章を越えるものもある。 また第一楽章がアダージョで最終楽章に重心を据えたものもある。 全ての楽章がソナタ形式の曲がある一方で、 ソナタ形式がいずれにも用いられていないソナタというのも存在する。 けれどもソナタと称されるものは総じて上の原形の名残が見られるだろう。

ソナタの演奏時間は十五分から三十分ぐらいのものが多いようであるが、 これは敢えて誤解を恐れずに定量的に計ってみた場合のことであると断っておく。

先にソナタと呼ばれるのは小さな編成の時に限ると述べた。 といったのも規模が大きくなってくると別の名前で呼ばれるためで、 その中で最も有名なものは管弦楽のためのソナタであり、 これを一般に交響曲という。 原則は室内楽のソナタと同じような構成になっているものの、 編成が大きくなった分、楽曲の規模も拡大されるのが普通である。 従って交響曲では四楽章を越えるものも少なくない。 それどころが四楽章のものが基本と考えた方が良いぐらいである。 四楽章の場合の定型を示せば次のようになる。

  1. アレグロ、主調、ソナタ形式。
  2. アダージョ又はアンダンテ、属調などの近親調、形式は自由。
  3. メヌエット又はスケルツォ。
  4. アレグロ、主調、ソナタ形式かロンド形式。

けれど交響曲は更に自由な構成になっているのが普通であって、 楽章の数やその内容は全くもって作曲家の個性と苦労によるところが大きい。 交響曲においては時として楽章の間に切れ目がないこともあり、 例えば第三楽章から第四楽章へは音符の休止なく流れるように続いて行くのである。 これも初期においては楽章の雰囲気や主題の違いなどが明確で、 耳で聴いていても楽章の区切りを感じることができるものであったが、 次第に動機の統一などによって 楽譜上だけの概念とまでいえるようなものまで登場した。 この流れの延長に思い切って楽章編成を排し、 単一の楽章からなる巨大な管弦楽曲が生み出されてくるのである。

一応これでソナタを説明したことにして、 次に簡単に組曲という言葉について述べておく。 組曲とは文字どおり複数の楽章からなる楽曲であるが、 特にバロック音楽における器楽曲のことを指す。 組曲の特徴として全ての楽章が同じ調であるということがある。 また舞曲を中心に組み立てられることが多い。 だが組曲というのはソナタ以上に曖昧な用語であって、 組曲という名でありながら内容はソナタであるものもあるし、 あちらこちらから気に入った曲を寄せ集めて編曲したような組曲もある。 なお日本語で組曲と書くと音楽集のようなものを連想してしまうため、 組曲の第一楽章を第一曲、第二楽章を第二曲というふうに呼ばれることもあるが、 組曲が多楽章形式として設計されている限りにおいて、 それが何と呼ばれようとも楽章は楽章なのである。

さて非常に簡単ではあったが、これで多楽章形式の説明を終えることにする。 確かに古典的な意味あいの楽章というのは、 古めかしくて現代の趣味にそぐわないというのも否定できないが、 一つの終止、区切りとして楽章を捉え直せば、 これほど印象深くて効果的なものもまた他にはない。 終止には完全終止のように曲の流れを一旦停止するものから、 半終止や偽終止のように継続を予期させて 流れの中にアクセントを付け加えるものまで多様であった。 楽章の切れ目というのもまた然りで、 曲の流れを止めてしまうと頭ごなしに否定するのは良くないことである。 より柔軟に、そしてこれを素材として如何に上手く料理してやるか、 それこそが作曲家の本命であり、また考えていて楽しい所ではなかろうか。

これは楽式論そのものにも言える話で、 型どおりすぎて堅苦しいとか、古くさ過ぎて実用にならないとか、 そういった批判をする前に、 ではここから何か新しいものが発想できないかをまず考え直してみるべきである。 規則として与えられると窮屈に思えていたものが、 ひとたび道具として道しるべとして捉えてみると便利なものになったりするのである。

まだまだ語るべき内容があるだろうが、ここでひとまず楽式論を終えることにする。 願わくば本書によって音楽に新たな興味を感じて頂ければ、 これ以上のことはない。

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制作/創作田園地帯  2002/08/30初出
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